最近の農家は皆、作るのが上手になって、どれを取っても同じ味になっている。昔は、愛媛だ、有田だ、と食べたら特徴があったけど、ツマラナイ、と言ったら語弊になるけど、と聞いている。気候が温かくなったので静岡の蜜柑も美味しくなったしな。それに、東京、大阪と言って、大消費地での売り上げが、どうにも伸びないのだ。

単価が安い。買い叩かれる。どんなに美味しい蜜柑にしても、値段が付いてこない。農協など、一部の決められた取引だけがあらかじめ保証されている。中抜き、鞘抜き、スーパーを含めた組織ぐるみの販売に、農家は食い物にされてしまう。経費が掛かるのは分かるけどさ、山奥の百姓にだって、蜜柑作りの思いがある。

蜜柑は商品作物の典型だけどさ、野山を開墾して、ミカン畑にして、10年、20年、と経営すると、それはもうカネだけではない生活、人生そのものになっている。先祖代々、続けてきた百姓は多いだろう。石垣の、一つ一つに親や祖父たちの思いがある。ミカンが出来て出荷する時には、先祖に感謝したものさ。

私が子供の頃の60年前とは、もう随分と価値観が変わってしまっている。あの酸っぱい夏ミカンなんて誰も食べないからね。今はオレンジ系統の「はるみ」だとか「はるか」だと言っている。年末の温州ミカンも、美味しくなければ売れない。贅沢になったものよ。バナナなど甘くておいしい果物は他にドッサリあるからね。

売り負けするんだよ。それだけ日本人は豊かに暮らしている。東京人はさ、静岡蜜柑が大好きだ。大阪では有田みかんかな。環境によって、好みができる。当たり前か。添付の記事にはソムリエとあるけれど、大阪や東京の市場の連中には敵わないだろう。我家にも、たまに青果市場の人が様子を見に来たりする。

厳しいやり取りを世間話でゴマカシて帰っていく。楽な商売はありませんなぁ。ヤクザより悪いで、と言うはずだよ。ミカン産業。まだまだこれから続いていく。平和の象徴やな、と思っているんやで。今年の三月に、オロブロンコ(グレープフルーツ味の日本版)を出荷した。さすがに3月まで木に生らしておくと糖度が上がって甘くなっていた。

八朔、サツキよりもいい感じ。新しい品種に取り組んでいくのも楽しみかいな。あまり次々と新しい品種を追いかけるのもバカでしかないけどな。母の遺言に、早く甘夏の木を切ってしまえ、せっかくの人生をワヤにされてしまう、と言っていた。よっぽど甘夏の仕事が辛かったのだ。今もそうだけどな。なんせ安い。重い。体が参ってしまう。私ももう65才だからね。

母の言葉がよく分かる。母が有田から嫁に来て、その甘夏の木が植えられた。だから私と同じ年になる。私や妹は蜜柑畑で育てられたのだ。無理な話よな。ミカンは、やはり家族経営が良いと考える。私が一人偏屈に一人で頑張っているのは例外だ。親の世代が、それほど良いとは思っていないけれど、夢があったじゃないか。

一生懸命働いたら幸せになれる。その通りなんだが、そういった暮らしが懐かしい。星明り、月明かりの下で、夜中の10時までトンガを振るって開墾していたんだよ。アホ、と笑うしかないわな。どれを取っても同じ味。褒め言葉なのか、尖った個性を見せろ、というのか、市場では新鮮なニュースを待っている。評論家はいらない。

汗水たらして、ヒイヒイ言って働く百姓にだけチャンスがある。農協には負けない。市場に騙されない。百姓にも生き方が求められているようだ。ソムリエ? 何ができるのかはその人による。各地には情報を発信する人がいて、私も随分世話になった。逆に、私は何をさせてもらったんだろうかと後悔はある。

風力発電の被害では、麓の百姓が塗炭の苦しみに喘いで死んでいった。彼らは抵抗する、抗議する術を知らなかった。素朴なのかアホなのか、仕組まれたワナにハメられていることを知ってもらいたいと伝えてある。誰も聞いてくれないけどな。人材はある。引っ張り上げる人。育て上げる人。共に戦う人。知性を見せてもらいたい。