盆にはかわいい妹たちが来てくれて

盆には灯篭焼きという行事があって、今年も年忌のある人が二人いて、灯篭を二つも作らないといけないのかと思案していました。二人とも100回忌だからね。とうとう8/15日の施餓鬼に拝んでもらうことにして、今年は勘弁してもらった。来年は親父の7回忌だから、どうしても法事と灯篭を作らないといけない。

長男の義務、というか務めよ。今年はコロナ禍で、例年の火祭りは中止だという。妹達には、たくさん溜まった塔婆やお札を、深夜に行われる灯篭焼きに持って行ってもらった。私は留守番よ。あるサイトにあったという写真を私に見せて、「これ、お兄ちゃんとちがう? パンツが見えている」という。どうやらそのようだ。

若気の至りで、20年ほどこんなことをやらせてもらっていた。暇だったからね。若いころの話よ。写真にしてみると、私も年取った。妹たちも、かわいくなったものよ。襖の文字は菜根譚の一説です。襖一枚につき、一文字だけ読めない当て字にして書いてある。はてどう読むのか? それが臨済禅の教科書、修行だというのだ。

それと、読もうとする人がそれなりのものでないと、字が読ませてくれないという。なんとも厄介な無門関よ。さらにこの書は「家庭有 個真佛 ~ 」から始まる。目黒絶海和尚は、我家の有様を見て、この書をしたためたに違いない。皮肉やなぁ、と気が付いたのは、割と早い時期からである。忠告してくれていたのだ。

今ではその意味がよくわかる。もう遅いよ、いや、まだ時間は残されている。たくさんの人に生かされてきた思いがよぎる。私も随分頑張ったつもりなのだと信じたいのだ。

百姓の盆よろこび

農家には昔から伝わる百姓言葉がある。稲作は今、花掛け、と言って白い花が咲いている。田植えをしてから刈り取りまで三月と十日。花が咲いたら一月後に稲刈りとなる。オッと、それまでに、籾に、コメになる乳がたまっていく。この乳を吸いにカメムシがやってくる。ウンカや紋枯れ病もある。10日後に消毒やな、と思いながら暑さに参っている。

今年は梅雨の長雨に祟られて、どうも出来が悪い。我が家では、1反に、8俵(60㎏×8)を目安にしている。10俵採れる時もあるけど、まぁ20年に1回やね。山から田んぼを見下ろすと、スカスカの稲穂が、地面の土まで見せてくれる。6俵あったらよいとせなあかんね。私が子供の頃は、せいぜい6俵だったんだから、毎年出来過ぎたんだろう。

ミカンもよくできている。もうイノシシが来て、ミカンを食い散らしているから油断も隙もない。かなりやられたよ。みかん畑の上では、地滑りが来て、農道が吹き飛んだ。最初は3mほどの段差だったものが、今日は7mほどの崖になっていた。毎日、地下の、すべり面に沿って畑が動いている。せっかく農道を修復しても、すぐにまた破壊されてしまう。

土木科を卒業したからね。山全体がすべり面に沿って動いていく、地滑り現象はよくわかっている。そうだ私は建設コンサルタントをしていたのだった。杭を打っても止まらないのさ。普通、百姓は盆が来ると、やれやれ半分まで来た、と一息つく。昼寝の習慣も百姓の特権よ。お墓の掃除もあるし、難儀なことになっている。

開山堂の火祭り

山からエニシダを刈り取ってきて、長さ4mほどの大たいまつを作る。男四人が、それぞれ二人ずつに分かれて、太いロープを持って、足で蹴り込みながら松明を締め上げる。私が子供の頃までは、80貫(3.75kg×80=300㎏)もあったそうだ。農協で測ってみたらしい。私が担いだ時には100㎏程の小振りになっていた。

半分以下の規模になっているのは私でも分かった。それでも重かったことを覚えている。叔母や大叔母たちは、私がそんなものを提げに行ったというので驚いていた。百姓の人たちの荒くれだというのだった。事実、私の叔父が、我が家で初めて土俑(大たいまつ)を担いだらしい。その人の50回忌の灯篭を持って、私は火祭りにお参りしていたのだった。

興国寺の灯篭焼きである。親父は三男坊で体が弱かったから、とてもそんな場面には縁がなかったらしい。写真に写る大たいまつは一本300㎏よ。それを一人で担いで放り投げたりして朝方まで遊んだというのだ。8/15日の満月の夜の奇習よ。舞台は三昧場で古い火葬場よ。真ん中には南北に三途の川があった。

S20年、グラマンに奇襲されて撃沈された艦船の戦死者100人ほどの骨が白く残っていたものよ。これも地域ではタブーになっている。私が子供の頃は、恐ろしい話として、ちょいちょいと聞かされてきた。私たち子どもは、その原っぱで飛び跳ねて遊んでいたのだ。無邪気なものよ。この風習もすでにすたれている。私が最後の世代だったようだ。

確かにあの頃は貧しかった。しかし人々に熱気があった。何をしても面白かった、と親父の友達連中は言っていた。戦争から解放されて平和をかみしめていたんだろう。ちなみに、こんな重い大たいまつを、若者たちは取りあった、「ワシが担ぐ」といって一人担ぐと、暗闇から、後ろから誰かが尻ケツを足蹴りしに来たという。

それでもみんなが夢中になって担いで遊んだというのだ。恐ろしい話よ。今、風力発電の被害で、地域の人々はすっかりアホになっている。私一人が「苦しい」と被害を訴えているが、すべての人が私を憎んでいる。被害者もいるだろうにね。何がこうまで人々を狂わすのか、私にはまだ分からない。S20年、8/15日の様に解放されることがあるんだろうか。

その時、やはりあの時と同じように、何をしてよいのかわからずに、座り込んでしまうのだろうか。いったい何をしてきたんだろうかと、うつろになった視線をさまよわせて。人は、何も考えないんだよ。こんな行事を仕掛けることで、地域社会を維持してきた。各地のお祭りは、ほとんど形骸化して、アルバイトさんの手を借りて、やっと行事にしているでしょ。

そのうち外人さんが参加するだろう。その時、宗教は関係ないのか。とうに彼らは宗教には関心はありません、といっている。いやな気配がする。