馬術剣道に優れていたという守應は宮内省で馬車係をしていた。なんでも欧米視察の時にロンドンで見た王族の馬車が、煌びやかに見えたんだそうだ。そりゃそうだろう、日本じゃ牛車だもんな。恥ずかしくて、とても比較はできなかっただろう。いくら雅とは言いながら、時代が許さなかった。
本当にこの馬車の御者をして、天皇を乗せて、東京を駆け抜けたんだろうか。さぞ得意になったことだろう。虎の威を借る狐、どころか、夢中だったに違いない。お堀端で転覆事故を起こした時も、皇后をお抱き奉ってお助けしたという。夢のような物語ではないか。
こんな由良町だが、和歌山から追放処分を受けながら、やっとここで居場所を見つけている。よかったら裏の碑文を読んでみてくれないか。青春とは何か? いくつになっても追い求める夢があることさ。彼は友人、知人に恵まれた。あの岩倉具視も、面白い男だと評したという。
人生とは悲しいもので、それぞれに人生がある。開山興国寺はひっそりと秋の気配が漂っていた。