30年ほど前、たまたま隣の席に座って一緒に仕事をしていた人が、刀の趣味人であった。大学卒業時に、刀鍛冶の先生に弟子入りを頼んだが断られたという。バブルの絶頂期だった。絵画でもバカな値段がついて、投資対象になっていた。当然に刀も、一本何億円、とかいう値段になっている。
現代刀でも五百万円というからすさまじい時代であった。今でも高い値段の現代刀匠がいるから不思議よな。玄門の会がやっている展覧会に行って、江住有俊刀匠にお会いした。親父と同じs4年生まれ。和歌山の江住町に縁があると言う。元少年飛行兵。自衛隊教官。子供は私と同年で同じ高専卒。
話が面白かったので柳生の里にある鍛刀道場に遊びに行くことになった。高専の生徒たちが、冶金学の研修で、キャンプしてタタラ製鉄を体験していた。鞴の代わりに送風機だったけど。近隣の学長など先生方が集まって、それは楽しい宴会だった。柳生の里の土には砂鉄が含まれていて、手で掬ってみるとキラ☆キラと光る黄鉄鉱が含まれている。
明治時代には官営の製鉄所があったという。今もその時の鉄が残っていて、高級なカンナの刃になっていると聞く。洋鉄にはない切れ味があるらしい。また刀の趣味人が集まって、小刀、穂、刀子を作らせてもらった。日本刀を作る際に出る切れ端で作った。鍛え肌のある本物だ。銘切りも教えてもらった。
江住さんは達筆だった。年に何度か、彼岸の頃、当時の刀を取り出しては打ち粉をポンポンと叩いて、刀を拭っている。不思議に心がシン、と落ち着く。刀の世界は魑魅魍魎の世界だ。虎徹の本を読んでもそれがよく分かる。大体が偽物。
その代表の桑名打ちも、それはそれなりによく出来ている。土産ものにしてはもったいない。格が違うのか。人間社会と同じことだと思って、当時の知人に電話した。