金の草鞋を履いて畑を歩け。

由良町でも桜が一斉に咲いている。シャツ一枚でも暑い。母親は有田のミカン農家の生まれだから、農家の諺をよく話してくれた。金の草鞋を履いて畑を歩け。畑にはいくらでもカネが埋まっている。有田の人は働き者で、母の実家でも常に何か仕事をしていたものよ。

我家は、その点、ボーッ、としていたかな。山一つ隔てただけなのに、文化の差があった。蜜柑畑には、取りこぼしの八朔が残っていた。「さつき」という。高級品だよ。とても甘く仕上がっている。1月、2月の八朔とは値段が違う。

池の土手には蕨が芽を出していた。これからフキ、タケノコが出るから、毎日繊維質ばかりだ。おかず代が安くつく。酒の当てにもなるからね。田舎暮らしもいいじゃないか。住めば都という。東京や大阪でののサラリーマン生活が夢のようだ。風力被害さえ、なかったらね。人々の狂気さえ、見なかったらね。

彼岸で食事会

久しぶりに墓参りをして兄妹が集まった。八朔と甘夏の収穫、出荷も終わってホッとしている。姪たちが大学を卒業したという。妹の旦那は、教授室でただ事務的に卒業証書を受け取っただけ、妹は女子大なのでそれなりに華やかだったとか、私は学長が直接手渡してくれて力強く握手までしてくれた。

そして「頑張ってください」と言い含められたものよ。川上正光とはそういう偉大な学長であった。御坊市のこの店は満員の盛況だった。グラスワインが旨い。それほど高価なものではないと思うが、私に美味しいと感じさせる店の技術よな。腹いっぱい食べさせてもらった。

一人、静かに座って刀を楽しむ。

30年ほど前、たまたま隣の席に座って一緒に仕事をしていた人が、刀の趣味人であった。大学卒業時に、刀鍛冶の先生に弟子入りを頼んだが断られたという。バブルの絶頂期だった。絵画でもバカな値段がついて、投資対象になっていた。当然に刀も、一本何億円、とかいう値段になっている。

現代刀でも五百万円というからすさまじい時代であった。今でも高い値段の現代刀匠がいるから不思議よな。玄門の会がやっている展覧会に行って、江住有俊刀匠にお会いした。親父と同じs4年生まれ。和歌山の江住町に縁があると言う。元少年飛行兵。自衛隊教官。子供は私と同年で同じ高専卒。

話が面白かったので柳生の里にある鍛刀道場に遊びに行くことになった。高専の生徒たちが、冶金学の研修で、キャンプしてタタラ製鉄を体験していた。鞴の代わりに送風機だったけど。近隣の学長など先生方が集まって、それは楽しい宴会だった。柳生の里の土には砂鉄が含まれていて、手で掬ってみるとキラ☆キラと光る黄鉄鉱が含まれている。

明治時代には官営の製鉄所があったという。今もその時の鉄が残っていて、高級なカンナの刃になっていると聞く。洋鉄にはない切れ味があるらしい。また刀の趣味人が集まって、小刀、穂、刀子を作らせてもらった。日本刀を作る際に出る切れ端で作った。鍛え肌のある本物だ。銘切りも教えてもらった。

江住さんは達筆だった。年に何度か、彼岸の頃、当時の刀を取り出しては打ち粉をポンポンと叩いて、刀を拭っている。不思議に心がシン、と落ち着く。刀の世界は魑魅魍魎の世界だ。虎徹の本を読んでもそれがよく分かる。大体が偽物。

その代表の桑名打ちも、それはそれなりによく出来ている。土産ものにしてはもったいない。格が違うのか。人間社会と同じことだと思って、当時の知人に電話した。