古い本

人と話していて、レイモンド・チャンドラー、フィリップ・マーローと言っても通じなくなっている。もう随分と昔の話だからね。私自身もそう言いながら、「えっと、何と言ったっけ」と、その名を言葉に出来ないでいる。45年も経つと、あるいは、年取った兆候だ。それで本棚から埃をはたきながら取り出して確認する。しかし物語も何も、覚えてはいなかった。しょうがないからパラパラとめくってみる。

訳者が明治生まれの人で、言葉遣いも夏目漱石みたいだ。蹴玉? サッカーかフットボールの事だろうか。東大で勉強ばかりしていたんだろう、漢文の読み下し文みたいな直訳が多い。たぶん英語の原文も、時代のある文体なんだろうかね。シェイクスピアの引用もあって、なかなかの昔風がいっぱいだ。私が20才の時、本当にこの本を読んで理解したんだろうかと疑って見る。

中身は推理小説で、とくに深い意味はない。シャーロックホームズの冒険と変わらない。s57年、当時はラジオをよく聞いていた。そこでアメリカのハードボイルド小説として流行っていたのだ。たぶんたくさんの日本人が読みふけったことだろう。ハードボイルド、という意味さえ分からずに、その言葉を話していたもんさ。それよりも私はスッカリ中身を忘れていた。

荒唐無稽な話だから、どうでもいいけどね。ギムレットとか、マティーニ、の話が有名だ。私もこの本で酒の名前を覚えた。内容を忘れていたから懐かしさも何もないけど、不器用な我儘を貫いて生きる、他の探偵ものもそうだけど、私の人生観・価値観そのものやないか。アメリカ人なのに、なぜなんやろ、と面白く読み返していた。たぶん、あれからの私の人生に深く関係している。

ベストセラーだったから。多くの日本人が思いを込めたはずだよ。夏目漱石の本に共感したようにな。年相応に、古い文体には免疫があるけど、今の若い人には苦しいかな。求めるものが違う。大体、彼らは本を読まない。昨日、大阪の天王寺にある阿倍野ハルカスに安藤広重展(浮世絵)を見に行った。私は電車の中で文庫本を読んでいたけど、他の乗客はタブレットの画面で操作を楽しんでいた。

写真とかメールとか色々ある。新聞読む人もいなかった。時代の風景よ。東海道53次の浮世絵は、実際は小さな紙切れに描いた、それぞれの風物詩だ。とてもよく描けている。デフォルメ、頭の何で作り上げた風景だ。山水画みたいなのもあるけど、実際のとは違うわな。せっせと書きまくった、才能のある人が羨ましい。私だって芸大へ行って絵を描きたかった。

夢は夢として、たまに展覧会へ行ってその才能を見極める。会場は人で一杯で、何度も監視員に怒られた。「写真は撮らないでください」。みんな携帯で絵の前で撮っているのに、私だけ怒られたよ。壁に手を掛けないでください、と。なんか目立ったんだろうかね。大人しくして退場した。入場料1900円、こんなものか。本物を見られたんだから、

頼山陽を読んでいる。

これまでも何冊かの頼山陽の本を読んできた。今回は新聞の書評欄に紹介があったので、またチョット寄り道して乱読して見るか、ぐらいの気分転換であった。ふと中村真一郎さんの本が気になった。ご自身も神経症で、精神的に苦しんだ経験があるらしい。それでか、文体と中身が息苦しいほどに練り込んである。読んでいて息が詰まる。窒息しそうだ。

適当に読み飛ばしながら、アッ、そうか、頼山陽も放蕩息子と言われながら、原因は神経症にあった、と何度もしつこく書いている。死ぬまで悪口が絶えなかったとか、漢文調で厳しい批判の言葉をたくさん載せている。その割には友人知人に恵まれて、成功した人の人生観を追いかけている。家族は皆著名な学者ばかりだ。必然として頼山陽は生み出されたらしい。

芸者遊びするんだから、カネにも困らなかったんだろう。今の世で芸者を呼んで三味線鳴らしたらどんなことになるやら。我家でも昔、100年ほど前にはそんなバカ騒ぎをしていたらしい。由良港は、太平洋の出口にある避難港だからね。女郎屋もたくさんあった。私も三味線の音が大好きさ。才能に恵まれるとエライことになる。

私はこれまで頼山陽の放蕩ぶりばかり読んできたけれど、他の作家でも神経衰弱の人は結構な苦しみにのたうち回っている。夏目漱石とか、現代作家にもいるんでしょ。発狂した、なんてね。たぶん、そんな苦しみをエネルギーにして名作を書き上げたんだろうかね。幕末から明治にかけて、頼山陽はベストセラーだったという。s30~40年代、私の子供の頃は山陽の名は、すっかり跡形がなかった。

教科書にも古典にも例がなかった。万葉集や司馬遷の『史記』なんかは有名な先生の講義を聞いたから一応の中身は知っているけど、頼山陽の事は何も知らないと言ってよい。百人一首はね、祖母が教養人だったおかげで満点だったよ。和歌山は陸の孤島と言われて、平安の昔の言葉がそのまま保存されていた。話し言葉として、普通に使っていたから。

「アンタ最近、寝らるるかい」と言ったものさ。今でも自然に出てくるのは和歌の言葉だ。しずごころなく、とか、あおによし、とか、行方も知らぬ恋の道かな、と思い出す。漢文はないね。まさか頼山陽の派手な詩文なんか、恥ずかしくて言えない。そんな言葉を詩吟にして大声で歌う人がいる。アホかいな、と驚くしかないんだよ。神経症の爆発かいな、と推察する。

山登りした時、「ヤッホー」と叫ぶのと同じ事だろう。開放感、感情の捌け口、ここまで忌み嫌う神経症が公に受け入れられるか。なーんや、心の病気なんかそれほど気にすることなんかなかったんや、とこの本を読んで確認した。そんな場面が何度となくこの本には繰り返される。本人はしんどかったのかもしれないね。漱石も山陽も短命だった。でも家庭的には恵まれていた。羨ましいかな。

以前紹介した『一流の狂気』にはリンカーンやケネディ、ヒトラーなどの心を病んだ人の最後が書かれてあった。著者の書き方、見方もあるけど、普通は七転八倒して人に迷惑かけるわな。それでも余りある名声を残すんだから大したものだよ。風力発電の被害では、被害を訴えるものは精神疾患のものとされている。齟齬、何かが違う。

それはこの本に書かれてあるような個人的な内面の葛藤ではなく、社会的な弾圧、政治・行政の迫害だ。精神疾患の意味は何だと思うか。プラシーボとか、錯覚だとか、いろんな言葉が連ねてある。そして被害者は何も言えなくなっている。どちらが狂気なんだろう。私は政治や行政が狂っていると判断する。私を憎み嫌悪する人たちの狂いようよ、へーえ、こんな奴やったんや、と見ている。

目に涙をためて、真っ赤な顔して叫ぶ人がいるからね。私に対してだよ。笑うしかないわ。彼らはそれほど嬉しい何かキッカケをつかんだんやで。差別の殻で閉じ込めた被害者の苦しみの愉悦に。

ゆら早生

40年ほど前、農協から新品種ができたから試験的に作ってみないか、と言われて作り始めた。せっかく生り始めた木を途中で切って、穂木を挿し木する。三年後には、初期の頃の「ゆら早生」が出来たけど、ちっとも旨くはない。味の素を振りかけたような、なかには酸っぱい蜜柑もあった。

こんなん売れへんで、と思ったよ。私じゃなく、親父が一生懸命にやっていた。やがて10年もすると、もっと美味しい「ゆら早生」が苗木として広まっていた。あの挿し木、穂木は何だったのか。本当に試験栽培だったよな。他の農家に聞いてみたけど、中手ミカンの平べったいものや、変な味のするミカンだったので途中で切ってしまった、とも聞いた。

失敗を繰り返していたのだ。私もその後、体調不良や酷暑などで、それらの試験栽培の木は枯らしてしまっていた。変異した遺伝子がその木に残っていたらしくて、九月になるとすぐに色付く一枝があった。エラク酸っぱかったかな。突然変異する、何か不安定な性質があったようだ。枯れてしまったんだからしょうがない。

今作っている「ゆら早生」は20年前に、甘夏の木に接ぎ木したものだ。当時、イノシシ被害がすごくてね、すべてボリボリに折られて、毎年のように繰り返された。よっぽど猪には美味かったんだろう。その後、山々に何重にも猪除けの柵が設けられて、電柵効果もあって、ゆら早生が採れるようになった。摘果しないから小玉ばかりよ。

それで百円売り場で売りさばいている。市場に送っても叩かれるだけだしね。親父は毎年のように東宮(上皇)へ献上品だと思って送っていた。東宮警察に知人がいて、自分の作ったミカンを自慢したかったんだろう。返事の手紙には、職員一同で美味しくいただきました、と書いてあった。天皇さんには届かなかったみたいだ。

ある日、その人が我が家を訪ねてきて、親父たちは楽しそうにごちそうを食べていた。親父も若い頃から東京での生活を夢見ていたからね。楽な仕事なんかないのに、それぞれの無事を笑っていたようだ。今年はカメムシが湧いている。殺虫剤を掛けたけど、すぐにまた、どこかから飛んできて嫌な臭いを撒いている。

これから早生ミカン、中手ミカンが始まる。何回も殺虫剤を掛けなければならないのか。ヒヨドリでも我家の蜜柑畑に集中するからね。美味い畑が分かるんだね。一方で、鳥も猪も害虫も少ない農家がある。鳥も食べないってか。そう思いながら、名誉の勲章よな、と採算合わせに笑えてくる。

「ゆら早生」で儲けている農家はいるけど、1か月だけのハードワークだ。楽な仕事なんかない。たまに注文してくださいね。味は良いと思っている。送料が高いから、我家まで取りに来てくれるのがいいかな。国道沿い、門前の交差点で百円売り場をしているので、そこで受け渡しをしています。

最近の農家は皆、作るのが上手になって、どれを取っても同じ味になっている。昔は、愛媛だ、有田だ、と食べたら特徴があったけど、ツマラナイ、と言ったら語弊になるけど、と聞いている。気候が温かくなったので静岡の蜜柑も美味しくなったしな。それに、東京、大阪と言って、大消費地での売り上げが、どうにも伸びないのだ。

単価が安い。買い叩かれる。どんなに美味しい蜜柑にしても、値段が付いてこない。農協など、一部の決められた取引だけがあらかじめ保証されている。中抜き、鞘抜き、スーパーを含めた組織ぐるみの販売に、農家は食い物にされてしまう。経費が掛かるのは分かるけどさ、山奥の百姓にだって、蜜柑作りの思いがある。

蜜柑は商品作物の典型だけどさ、野山を開墾して、ミカン畑にして、10年、20年、と経営すると、それはもうカネだけではない生活、人生そのものになっている。先祖代々、続けてきた百姓は多いだろう。石垣の、一つ一つに親や祖父たちの思いがある。ミカンが出来て出荷する時には、先祖に感謝したものさ。

私が子供の頃の60年前とは、もう随分と価値観が変わってしまっている。あの酸っぱい夏ミカンなんて誰も食べないからね。今はオレンジ系統の「はるみ」だとか「はるか」だと言っている。年末の温州ミカンも、美味しくなければ売れない。贅沢になったものよ。バナナなど甘くておいしい果物は他にドッサリあるからね。

売り負けするんだよ。それだけ日本人は豊かに暮らしている。東京人はさ、静岡蜜柑が大好きだ。大阪では有田みかんかな。環境によって、好みができる。当たり前か。添付の記事にはソムリエとあるけれど、大阪や東京の市場の連中には敵わないだろう。我家にも、たまに青果市場の人が様子を見に来たりする。

厳しいやり取りを世間話でゴマカシて帰っていく。楽な商売はありませんなぁ。ヤクザより悪いで、と言うはずだよ。ミカン産業。まだまだこれから続いていく。平和の象徴やな、と思っているんやで。今年の三月に、オロブロンコ(グレープフルーツ味の日本版)を出荷した。さすがに3月まで木に生らしておくと糖度が上がって甘くなっていた。

八朔、サツキよりもいい感じ。新しい品種に取り組んでいくのも楽しみかいな。あまり次々と新しい品種を追いかけるのもバカでしかないけどな。母の遺言に、早く甘夏の木を切ってしまえ、せっかくの人生をワヤにされてしまう、と言っていた。よっぽど甘夏の仕事が辛かったのだ。今もそうだけどな。なんせ安い。重い。体が参ってしまう。私ももう65才だからね。

母の言葉がよく分かる。母が有田から嫁に来て、その甘夏の木が植えられた。だから私と同じ年になる。私や妹は蜜柑畑で育てられたのだ。無理な話よな。ミカンは、やはり家族経営が良いと考える。私が一人偏屈に一人で頑張っているのは例外だ。親の世代が、それほど良いとは思っていないけれど、夢があったじゃないか。

一生懸命働いたら幸せになれる。その通りなんだが、そういった暮らしが懐かしい。星明り、月明かりの下で、夜中の10時までトンガを振るって開墾していたんだよ。アホ、と笑うしかないわな。どれを取っても同じ味。褒め言葉なのか、尖った個性を見せろ、というのか、市場では新鮮なニュースを待っている。評論家はいらない。

汗水たらして、ヒイヒイ言って働く百姓にだけチャンスがある。農協には負けない。市場に騙されない。百姓にも生き方が求められているようだ。ソムリエ? 何ができるのかはその人による。各地には情報を発信する人がいて、私も随分世話になった。逆に、私は何をさせてもらったんだろうかと後悔はある。

風力発電の被害では、麓の百姓が塗炭の苦しみに喘いで死んでいった。彼らは抵抗する、抗議する術を知らなかった。素朴なのかアホなのか、仕組まれたワナにハメられていることを知ってもらいたいと伝えてある。誰も聞いてくれないけどな。人材はある。引っ張り上げる人。育て上げる人。共に戦う人。知性を見せてもらいたい。

また一年が始まる。

甘夏の出荷が終わって、ホッとしたと思ったら裏山の蜜柑畑は花盛りよ。春草が大きくなって草刈が大変だ。毎年、同じ事だが、今年も1年生のままよ。百姓は皆同じだろう。大雨や日照り、害虫や病気、何があるか分からない。年取ってる間がない。ヒイヒイ言ってやるしかないわな。

自慢の百円売り場では、たくさんのお客さんに恵まれた。会話もあって、気軽な世間話と、たまにはアンテナショップとして機能した。トントンで儲けはないけど、元気でやってます感はあったと思う。スーパーマーケットの売り場ではなく、農家直営の強さよ。と言っても周辺には農家の百円売り場はなくなっていた。

私は村八分だからさ、余計に非難のターゲットにされているんだろうね。昔は由良港で廻船問屋に関わっていたと聞く。大量の古伊万里などの食器が箱に詰められて積まれていた。祖母はせっせと売りさばいて生活費に充てたという。まだ大皿が数枚積まれている。お客さんが来た時に、たくさんの熟れ寿司を盛って出したんだろう。

我家にも繁盛した時代があった。私の一人暮らしは、その結果だろうと思っている。祖父も、エラク人嫌いだったからね。代々、個性派の人だったようだ。母は、初めてこんな閉鎖的な家に嫁に来たとかで、驚くことばかりだと言っていた。外部から見ると、そんなことになるらしい。

私にはそれが分からない。内部にいるとさ、外部の人から見える感覚が分からないようだ。どこまでやれるか分からない。やれるところまで頑張るつもりだよ。

百円売り場をやっています。

母親がやっていた趣味の百円売り場です。ビシャコ、花、榊、蜜柑が主体かな。母の方が、目が詰んでいるというのか、小まめによくやっていたような。趣味だからさ、百円玉をレジ袋に溜めて、それを眺めて笑っていたものよ。べつに人に迷惑かけるでなし、晩飯のおかず代になればいいと思っている。

周辺の百姓たちもあちこちでやっていたけれど、今は私だけになっている。それで皆さん私の所に集中するんだろう。一気に押し寄せてくることもあって、なんせ一人でしょ。ビニール袋に詰める作業だけで精いっぱいだよ。めんどくさいからコンテナ一杯いくらだ、という人もいる。

それが3千円だったり、2千円だったりするものだから、いいかげんなものよな。その時々によって、蜜柑の品質が違う。相場のこともある。年末になると高くなるからね。毎年、前ページに書いた渋柿がよく売れる。見張っている人がいるようだ。「ゆら早生」の時のように、あっと言う間になくなるのだ。

しょせん一袋百円だからさ、大したことではないんだけれど、バカ売れしたら面白いわな。値上げの事なんか考えたこともない。お客さんあっての商売だと思っている。商売? いや~、厳しいな。仮に一日1万円あったとして、肥料代、農薬代、農作業の手間を差し引くと半分も残らない。

1㎏入りで、百円だから(もっと安いかな)、採算なんかあるはずもない。趣味のコミニケーションだと割り切っている。だからか、母の方がたくさん儲けていた。あの時はバブルだったからさ、みんなお金持ちやったんやね。若かったしな。オッと、私も十分に年取ったみたいだ。

来年の春先、三月までやっています。よかったら覗いてみてください。メッセージがあれば電話か、銭入れのカンカンにメモを入れておいてください。お待ちしています。

渋柿が美味しい

甘くなると渋柿の方が美味しいと気が付いたのは最近のことだ。とくに皮をむいて、干し柿にするとその美味しさは絶品になる。冷蔵庫に保管すると日持ちもするし、天ぷらにすると、また別の料理になる。百円売り場に置くと、たちまちにして売れてしまうから、誰か見張っているようだ。

今年は、柿の柄を切ってしまっていた。気が付かなかった。大失敗だ。これでは吊るせない。お客さんの一人が、しょうがないから紐を通して吊るしてみるわ、と言っていた。申し訳ない。干し柿は傷をつけると致命傷だ。できれば笊のようなものに、転がしながら干すしかない。

久しぶりの失敗に、何か手はないかと思案している。富由柿は、そこそこ甘いから売れるだろう。でもすぐに熟して真っ赤になるからな。そうなったら渋柿にはかなわない。それぞれに持ち味があるのだ。カニは勝手に横に這う。昔の書棚に由良、開山、興国寺の絵葉書が残っていた。

もっとたくさんの場面があったはずなのに、一枚だけが残っていた。今は訪れる人もない山寺よ。由良の庄は、鎌倉時代は北条政子の荘園だったという。それでここには源実朝の墓がある。チョンマゲを切り取って埋めて墓にしたんだとか。可哀そうな人でもある。

オッと、我が家の寄進した鐘楼、釣鐘にも理由があって、親の供養のために、鐘の裏に親子の名前を白い文字にして書きつけたと聞いている。確認して見たけど何もなかった。子が親を殺す。昔はそんなこともあったらしい。三百年も昔のことだ。

我家にも昔はこんな経済力があったらしい。由良港には海軍があったのに、戦禍を逃れて残されている。シロアリの被害に遭ったと聞いたけど、大丈夫かいな。

日本の漫画文化

ホームページの方で「AIには負けない」と書いた。言っとくが私には少女漫画趣味はないからね。もう55年も前、従妹の家に行った時、マーガレットやリボンが積んであって、「ベルサイユの薔薇」があったので読んでいたのだ。「レベッカ」のマンガは面白かったと記憶している。

マンダレーの別荘でのミステリーだ。二十歳のころ、やっと原作の小説を読んだよ。フレデリック・フォーサイスのスパイ小説にも引用されていた。私もたまにはマガジンとか、ジャンプを買ってもらっていた。しかし当時は貧しくて、とてもマンガを買って読む余裕はなかったのだ。

昭和30年代だからさ、まだ高度経済成長はこなかった。親父たちが使った昭和初期のマンガ本を見ていたものよ。最近、作者の池田理代子さんがテレビに出ている。あの時はまだ若かったんだと驚く。よっぽど才能に恵まれていたんだろう。フランスでも映画化されたというから大したものだよ。

それを今、AI化して、楽してマンガビジネスに活用するんだという。なんかヘンな話よ。そもそもこの漫画は、作者の妄想で、ヘンテコな作り話が踊っている。それが劇画となり、独特な大きな目のヒロインが活躍する。これに人々は感動して今もファンが大勢いるというのだ。

添付のURLは英語版だ。翻訳機能を使って見てほしい。ところどころヘンな訳語になっている。それでもさ、海外でこんな需要があるんだから立派な文化遺産よな。私には昔読んだマーガレットの連載の方がインパクトが強かった。同年代の人はそう思わないか。これをAI、人工知能でやるとどうなるのか。

比較してみると分かると思うけど、あまり見たいとは思わない。やはり人間の生の感覚が新鮮で弾けているじゃないか。最近、面白いと思う本が少なくなった。スパイ小説も、すっかり消えてしまった。バイオレンスアクション、なんて本もない。日本は豊かになり過ぎたんだろうね。

ヘンテコでもよい。面白い本が読みたい。地球温暖化とかさ、ウソはダメだよ。カネ儲けはよいとして、政治的に目的のあるプロパガンダ本は反吐が出る。「風力発電」と検索したらたくさんの関連本が出ている。ウソばっかりだよ。カルト、宗教と変わらない。こんな批判精神は必要だね。

宗教と政治は今、エラク問題になっているでしょ。何が悪いのか、何が間違っているのか、君が判断していかないとな。世間の言いなりになったらアカンで。それはこの本を読んだら、気付くことだろうと思うのは私一人なんだろうか。

コンバインに泣いている。

9月になってもまだまだ暑い。33℃、炎天燃えるような暑さよ。夜這い草が稲の穂を覆ってきた。見ての通りまだ青いから、せめてあと一週間、と思いながら刈り始めている。田んぼ一枚刈った。田んぼにはそれぞれ名前がついている。小川、八十坪(ハチャツボ)、五升米(ゴショマイ)、それぞれに歴史物語が付いている。我家の伝統文化だよ。

江戸時代に年貢を納めるのに、田んぼの面積を記録していた。1反-300坪の面積に、八十坪と呼んでいた。そんなわけないわな。5俵の米が取れる田んぼに、五升米と言っていた。何も知らない人が聞くとチンプンカンプンだろうて。それだけ税金を払いたくなかったのだ。今から50年前まで、開山興国寺の年貢に4俵、5俵を納めていた。

ずーっと寺総代だよ。それがヒョンナことから、人はみな平等じゃないかという人が現れた。親父は大喜びしたよ。その通りだ。さっそくみんなで平等に年貢を納めて、役員も持ち回りにしよう、ということになった。とんとん拍子よ。時代背景もある。宗教のありがたみもなく、人々のつながりは消えていた。我家も皆さんと同じく米一袋、30㎏だよ。

楽チンになったけど、なんだかおかしい。それが今は現金納付で5千円か。かつては北条政子の荘園になり、源実朝の墓がある。我家も深く関わってきたと聞いている。由良の庄は港町だから人の出入りが激しい。ほとんど他所から来た人ばかりだ。南海道の東端よ。九州や四国の人が多い。それらの地域と名字が同じだと聞く。

我家のような京都からの都落ちはない。みんな元気いっぱいだよ。言葉の汚さは、大阪から電車に乗って帰ってくるとすぐに分かる。男も女も、なんという下品な人たちよと。18年前に買ったコンバインだよ。何とか1枚刈って、2枚目になった時、カッターのワイヤーがぶつりと切れた。そのまま刈り続けると、稲藁を送るチェーンが妙に緩く動かない。

ドラムが止まった時、ドラムに付いているブーリンが千切れて落ちていた。鉄の塊だよ。疲労破壊だ。エンジンが22馬力と大きいから、各部品にその応力が負担になったんだろう。そして今日は雨。ブルーシートを掛けて放ったらかしよ。18年前は200万円だったけれど、今は300万円もするらしい。米1俵60㎏が1万円の安値を思うと、とても買えるような機械ではない。

私には預金なんかないから、元公務員の妹に相談した。好きにしたら、ということだ。私は我儘だから人との共有は考えられない。その人だって嫌だろう。百姓とはそういうものだ。トラクター、田植え機、乾燥機、籾摺り機、米撰機、すべてフル装備なのだ。ほとんどの人は赤字経営やろうな、と思っている。国の政策なのだ。目の前の山々には風力発電が林立している。

突然鼻血が出てきたという百姓の話。しんどくなってきて、仕事にならないという人は多い。脳梗塞と癌が多い。ここにいれば病気になるリスクがある。大体は敏感に感じ取っているだろう。それを「風力の被害など聞いたこともない」と人々は吹聴して喜びあっているんだから大したものだよ。歪んだ情報とピエロを演じる被害者たち。

たくさんの人から汚い叫びをぶつけられたから、私にはもうどうでもよい。公害とはどこでもこんなものだよ。水俣なんか今でもスゴイじゃないか。水俣学が~とか言ってさ、私は言葉をなくして逃げ飛んだよ。同じやり方だね。根源は闇の権力意識だ。コンバインの300万円か。稲刈りはまだこれからだ。至急酒飲みながら考えて判断する。

百姓するのも大変なことだよ。それにしても暑い。大型台風は日本海を北上しているという。少し助かった。あとは雨の始末だ。田んぼの水が抜けてくれればよいが。

稗に泣いている。

田んぼの畔の草を刈った。稗が生えている。今はまだ稲と同じようなもんだが、もうすぐ覆いかぶさるようにして大きくなる。2mの高さになって、軸が太くて硬いので、コンバインの刃先が壊れてしまう。困ったものよ。この炎天下に稗切りをするか。

1俵60㎏、1万円の世界だ。消毒代と肥料代を差し引くと、いくらになるんだろう。コンバインやトラクター、田植え機に乾燥機、籾摺り機、機械代を引いたら間違いなく赤字になるような気がする。スーパーの米はマズいからな。自分で作った米ほど旨いものはない。

去年、小米、くず米の販売に間違いがあって、大量の「姉さん米」(くず米をそう言う)を今も食べている。私は姉さんじゃないんだけどな~、と反省することしきりよ。多分、来年も古米となった「姉さん米」を食べることになる。

普通のご飯を食べてみたい。武士は食わねど高楊枝か。みかんのダニの消毒をやっている。カッパ着て、大汗かいて、マスクとゴーグルで息ができない。薬のせいで胸がパクパクする。あと何年こんなことやっていられることか。