ゆら早生

40年ほど前、農協から新品種ができたから試験的に作ってみないか、と言われて作り始めた。せっかく生り始めた木を途中で切って、穂木を挿し木する。三年後には、初期の頃の「ゆら早生」が出来たけど、ちっとも旨くはない。味の素を振りかけたような、なかには酸っぱい蜜柑もあった。

こんなん売れへんで、と思ったよ。私じゃなく、親父が一生懸命にやっていた。やがて10年もすると、もっと美味しい「ゆら早生」が苗木として広まっていた。あの挿し木、穂木は何だったのか。本当に試験栽培だったよな。他の農家に聞いてみたけど、中手ミカンの平べったいものや、変な味のするミカンだったので途中で切ってしまった、とも聞いた。

失敗を繰り返していたのだ。私もその後、体調不良や酷暑などで、それらの試験栽培の木は枯らしてしまっていた。変異した遺伝子がその木に残っていたらしくて、九月になるとすぐに色付く一枝があった。エラク酸っぱかったかな。突然変異する、何か不安定な性質があったようだ。枯れてしまったんだからしょうがない。

今作っている「ゆら早生」は20年前に、甘夏の木に接ぎ木したものだ。当時、イノシシ被害がすごくてね、すべてボリボリに折られて、毎年のように繰り返された。よっぽど猪には美味かったんだろう。その後、山々に何重にも猪除けの柵が設けられて、電柵効果もあって、ゆら早生が採れるようになった。摘果しないから小玉ばかりよ。

それで百円売り場で売りさばいている。市場に送っても叩かれるだけだしね。親父は毎年のように東宮(上皇)へ献上品だと思って送っていた。東宮警察に知人がいて、自分の作ったミカンを自慢したかったんだろう。返事の手紙には、職員一同で美味しくいただきました、と書いてあった。天皇さんには届かなかったみたいだ。

ある日、その人が我が家を訪ねてきて、親父たちは楽しそうにごちそうを食べていた。親父も若い頃から東京での生活を夢見ていたからね。楽な仕事なんかないのに、それぞれの無事を笑っていたようだ。今年はカメムシが湧いている。殺虫剤を掛けたけど、すぐにまた、どこかから飛んできて嫌な臭いを撒いている。

これから早生ミカン、中手ミカンが始まる。何回も殺虫剤を掛けなければならないのか。ヒヨドリでも我家の蜜柑畑に集中するからね。美味い畑が分かるんだね。一方で、鳥も猪も害虫も少ない農家がある。鳥も食べないってか。そう思いながら、名誉の勲章よな、と採算合わせに笑えてくる。

「ゆら早生」で儲けている農家はいるけど、1か月だけのハードワークだ。楽な仕事なんかない。たまに注文してくださいね。味は良いと思っている。送料が高いから、我家まで取りに来てくれるのがいいかな。国道沿い、門前の交差点で百円売り場をしているので、そこで受け渡しをしています。