秋になると思い出す言葉、

昔、中国の洛陽に官吏として出世していた男があった。大層学識があって、科挙にも挙がって大夫の地位だったという。それかがある秋の日に、視察の途中で見事に色付いた山々の景色に思い出す。「なんてすばらしい秋なんだ」もう故郷に帰ろう。いたたまれない。そのまま官を辞して、どこやらの田舎に引きこもったという話だ。私はs56年に新潟県の長岡市にある長岡技大に学んでいた。

紺色の膨れた人民服を着た教官が、司馬遷の『史記』を講じていた。その合間にこんな話をよくしていたのだった。ちょうど日中友好の時代で、中国人の先生や学生がちらほらいた。とても優秀で親切な人ばかりだったと思う。史記の教官は日本人なのに、エライ中国びいきでな、中国旅行が趣味らしかった。我家にだって、仏壇のある奥の間には一面、「菜根譚」の襖になっている。

禅宗の教科書で、襖一枚に、1文字伏字になっていて、それを読み解くことが先への道しるべとなる。関心のない人には申し訳ないが、親父は大枚はたいてこの書を目黒絶海和尚に書いてもらった。私はその現場を見ている。そして段々とその意味が浸みてくる。何と皮肉な、それは我が家に対する忠告だった。今も痛いほどその意味が分かる。親父も祖父も分かっていたに違いない。

それなのに今、私は一人で暮らしている。我儘が過ぎた。秋になると、こんな昔話が思い出されるのだ。