盆には、かわいい妹たちが来て、

今年は親父の七回忌だから灯篭を作って寺の行事に参加した。私の横には「萬倍矣」(万倍なり)と書いてある。何が万倍なのかというと、兄妹が仲良く過ごすことが眞の道だというのだ。この世の中で生きていくことは厳しいことが多々ある。

それでも年に一度は先祖を祭り、楽しく過ごすことができれば、これに勝ることはない。私も何とかここまで漕ぎ着けた、というところだ。欲は言うまい。ある程度やってきたら、あとは宿命だと思っている。やっと父母のこと、祖父母のことが分かってきたような気がする。

出来の悪い跡取り息子であった。それも先祖たちが築いてきた結果の話よ。観念して静かに田畑を耕して生きていくつもりだ。どうやらこれが性に合っている。東京や大阪での生活は、夢のまた夢の思い出話よ。

やっと灯篭ができた。

今日は七日盆だからぎりぎりセーフか。親父の七回忌だ。法事もしたしな。出来の悪い息子でもこれくらいはと思っている。親父は都合があって、三男坊なのに家業を継いだ。上の二人はとても出来が良かったらしい。東京の叔父に甘えて、東京に行きたいと何度もせがんだらしい。

世間は厳しいのにね。おかげで私が家業を継いで、一人百姓仕事に汗を流している。家の伝統的なことは親父を飛ばして、祖父から私に教えられた。これから迎え火、送り火の、松の根っこ(肥え松)を使った松明を作る。これも親父は作らなかった。私が子供のころから作り続けている。

いや、サラリーマンしていた時には親父が作ったんだろう。盆には、昔のことを思い出している。我が家の紋は、丸に蔦だ。でもこのデザインは珍しいでしょ。いろんな種類の透かし彫りの型紙が残されている。こんな伝統も、地域から消えていくんだろうか。15日には灯篭焼の行事がある。

稲の苗を購入した。

計算して稲の苗を作っていたつもりが、予想外に食い込んでしまって足りなくなった。それで農協JAに行って、8枚買ってきた。一枚1210円、8枚で9680円。値段の高さに驚いている。田んぼ一反(10a)に、この苗箱が24枚いる。そしたら苗だけで29.040円になる。

一反に米は8俵(60㎏)とれるから、1俵1万円として、8万円の収入になる。農薬と肥料を差し引くと、もう残りはない。トラクターとか、コンバインとか、田植え機とか、乾燥機とか、籾摺り機とか、ほとんど赤字状態ではないか。

私は自分で籾を播いて苗を作っているけれど、近所の百姓たちは農協から苗を購入している。採算なんか考えてはいないんや。我が家は古い農家でして、何でも自家生産してしまう習慣がある。お金はあまり使わない。子供のころは親戚同士で手伝いあいをしていた。

まるでお祭りのように賑やかな田植えだった。柏餅をたくさん作って頬張ったりね。昔のことが夢のようだよ。田植えしてから、三月と十日で稲刈り、米ができる。やはり我が家のコメが一番うまいと思う。

今年もお茶を摘んでいる。

毎年のことだけれど、今年もせっせとお茶の芽を摘んでいる。母たちがやっていたのとは少し違って、新芽の部分だけで作るから、かなり濃いお茶になる。今年は、茶粥と茶飯に挑戦するつもりだ。

近所の古刹、興国寺の名物でね、最近は作る人がいなくなっただろうけれど、本当に美味しかったのだ。スーパーの安物のお茶なんか、ペットボトルのお茶なんか、あんなもの御茶じゃない。

農薬のかかっていない、本当のお茶を作ってみないか。お金も要らないし、趣味にするにはよい遊びでっせ。これから、タラの芽と、お茶の新芽で、天ぷらにして酒の当てにするつもりだ。売れ残りのレモンがドツサリある。気ままな独り暮らしよ。

筍を食べている。

猪が来て、ほとんど食べられてしまったけれど、草むらに少し残っていたので掘ってきた。しばらくは筍の炊いたんばかりになる。先日まで蕗ばかり食べていたから、繊維質でおなかの具合の調子が気になってきた。なんせアクのある山菜ばかりだからね。食べ過ぎるとガンになるというじゃないか。

それでも春のごちそうだと思って、頬張っている。筍を食べると、さぁ、やるぞっ、という気力が沸くらしいのだ。田んぼでは蓮華が咲いていたので、レンゲばつりをした。緑肥と言う奴よ。田拵えの初めだ。牛を飼っていたころ、子牛をレンゲの所に連れてくると、飛び跳ねて喜んでいたことを思い出している。

牛は、レンゲが大好きだったのだ。牛を飼った人なら知っているよな。昔は、レンゲの所で相撲を取ったり、子供たちが楽しく遊び場にしたものさ。今は、そんな風景はどこにもない。少なくとも、太陽パネルを敷き並べるのだけは止めとこう。

今年の桜です。

旧熊野街道に咲く、今年一番の桜です。由良守應宅なので、やはり自己主張が激しいんだろう。周囲の桜はまだまだよ、ここだけ明るい光に照らされている。桜の前には古い庚申塚があって、優しげな不動明王が睨んでいる。かなりの名工の作だよ。

道標と並んでいるから、熊野詣の人がたくさん通ったんだろう。縁があったら拝んでくれたまえ。この通りだけ、昔から「うと」というから、きっと何か事件があったんやろう。田んぼにはレンゲが咲いている。田ごしらえの季節が始まる。

甘夏を採っている。

毎日みかん採りに忙しくしています。みかんに酔ってしまって、もうヨタヨタよ。年々、年取るからさ、体力がなくなるんだろうね。風力発電の低周波被害も苦しくてならない。原発もそうだけれど、被害があっても誰も文句が言えなくされている。いや、精神的なダメージでやられてしまっている。

私に対する悪口、誹謗だけは延々と続いているから、何が何でもやっつけたいんだろう。前ページでは、一番身近な人からやられていく、と書いた。分断工作と攪乱だ。親が遺言のように言い置いてくれた言葉通りになっている。親の言葉にアダはなかった。

ある程度の所に来たら、甘夏の木は切ってしまえとも言われている。しかしまだその気にはならない。なんせ私と同じ年齢で、私はこの畑の開墾に合わせて、みかん畑で育てられたのだ。やっと最近、自分の人生の目的が分かった気になっている。東京や大阪でサラリーマンをしていたことが夢のようだ。

さあ、これからというときは、もう60を超えていたということだ。あと一息、1町、1haほどの甘夏が収穫を待っている。

八朔を採っている。

八朔を採って、そのまま生で出荷している。これまでだと春先まで、三月まで貯蔵していたのだが、今はそんな手間暇はかけられない。それに味もよくなっている。気候が温かくなったせいだろうね。昔は山の裾に蓆を広げて、八朔やネーブルを山積みして、蓆を被せてシダで覆って、春先まで寝かせてイカラセテいたものよ。

雪が降ったからね。それを大きな松の木なんかが覆って、絶好の貯蔵場にしていた。とても美味しそうに仕上がったよ。贅沢な時代よな。年とともに作業が辛くなってきた。昨日は120ケース作ったけど、もう腰がない。これで赤字だったら、と、ふと心配する。最近、みかん畑に鹿の角が落ちている。かなり大物だよ。

イノシシもしょっちゅう来るし、ワンダーランドや。彼らは私を仲間だと勘違いしているらしくてじゃれに来るのだ。

由良守應の夢のあと

馬術剣道に優れていたという守應は宮内省で馬車係をしていた。なんでも欧米視察の時にロンドンで見た王族の馬車が、煌びやかに見えたんだそうだ。そりゃそうだろう、日本じゃ牛車だもんな。恥ずかしくて、とても比較はできなかっただろう。いくら雅とは言いながら、時代が許さなかった。

本当にこの馬車の御者をして、天皇を乗せて、東京を駆け抜けたんだろうか。さぞ得意になったことだろう。虎の威を借る狐、どころか、夢中だったに違いない。お堀端で転覆事故を起こした時も、皇后をお抱き奉ってお助けしたという。夢のような物語ではないか。

こんな由良町だが、和歌山から追放処分を受けながら、やっとここで居場所を見つけている。よかったら裏の碑文を読んでみてくれないか。青春とは何か? いくつになっても追い求める夢があることさ。彼は友人、知人に恵まれた。あの岩倉具視も、面白い男だと評したという。

人生とは悲しいもので、それぞれに人生がある。開山興国寺はひっそりと秋の気配が漂っていた。

蜜柑の百円売り場をやっています。

由良町門前で、毎年10月頃から百円売り場をやっています。母が始めたことですが、やはり母の方が商売上手で、夕食のおかず代になっていたかな。3月頃まで八朔やオレンジ類を並べています。注文にも応じます。よかったら覗いてみてください。

我家のみかん畑は、わりと広くて、一人で経営するのは本当に大変です。母の遺言は、早く甘夏の木を切ってしまえ、でした。重労働だったんですね。私と同じ62年生ですから大木よ。剪定しようにも、木が太いので、腕がなまってしまう。

そうだ、誰かみかん採りに来てくれないか。3月頃までやっている。日当は安いけれど、アパートの部屋が空いているから個室貸与、食事付き、お世辞付き、農業体験、ということで、どうだろうか。