タケノコを食べている。

裏山に孟宗竹の林があって、タケノコを掘ってきた。ちょうど地面にヒビが出来て、鳥のトサカのような固い新芽をちらつかせている。収穫の合図だよ。親から教えられたとおりに、トサカの倒れた方からトンガの刃を入れる。

稼業だからね。熟れたものさ。しばらくはタケノコ三昧になる。猪みたいやろ。最近は塩漬けにして、夏までしつこく食べている。残った塩の汁は糠漬けに使っている。無駄はない。すっかり一人暮らしになっている。

金の草鞋を履いて畑を歩け。

由良町でも桜が一斉に咲いている。シャツ一枚でも暑い。母親は有田のミカン農家の生まれだから、農家の諺をよく話してくれた。金の草鞋を履いて畑を歩け。畑にはいくらでもカネが埋まっている。有田の人は働き者で、母の実家でも常に何か仕事をしていたものよ。

我家は、その点、ボーッ、としていたかな。山一つ隔てただけなのに、文化の差があった。蜜柑畑には、取りこぼしの八朔が残っていた。「さつき」という。高級品だよ。とても甘く仕上がっている。1月、2月の八朔とは値段が違う。

池の土手には蕨が芽を出していた。これからフキ、タケノコが出るから、毎日繊維質ばかりだ。おかず代が安くつく。酒の当てにもなるからね。田舎暮らしもいいじゃないか。住めば都という。東京や大阪でののサラリーマン生活が夢のようだ。風力被害さえ、なかったらね。人々の狂気さえ、見なかったらね。

彼岸で食事会

久しぶりに墓参りをして兄妹が集まった。八朔と甘夏の収穫、出荷も終わってホッとしている。姪たちが大学を卒業したという。妹の旦那は、教授室でただ事務的に卒業証書を受け取っただけ、妹は女子大なのでそれなりに華やかだったとか、私は学長が直接手渡してくれて力強く握手までしてくれた。

そして「頑張ってください」と言い含められたものよ。川上正光とはそういう偉大な学長であった。御坊市のこの店は満員の盛況だった。グラスワインが旨い。それほど高価なものではないと思うが、私に美味しいと感じさせる店の技術よな。腹いっぱい食べさせてもらった。

一人、静かに座って刀を楽しむ。

30年ほど前、たまたま隣の席に座って一緒に仕事をしていた人が、刀の趣味人であった。大学卒業時に、刀鍛冶の先生に弟子入りを頼んだが断られたという。バブルの絶頂期だった。絵画でもバカな値段がついて、投資対象になっていた。当然に刀も、一本何億円、とかいう値段になっている。

現代刀でも五百万円というからすさまじい時代であった。今でも高い値段の現代刀匠がいるから不思議よな。玄門の会がやっている展覧会に行って、江住有俊刀匠にお会いした。親父と同じs4年生まれ。和歌山の江住町に縁があると言う。元少年飛行兵。自衛隊教官。子供は私と同年で同じ高専卒。

話が面白かったので柳生の里にある鍛刀道場に遊びに行くことになった。高専の生徒たちが、冶金学の研修で、キャンプしてタタラ製鉄を体験していた。鞴の代わりに送風機だったけど。近隣の学長など先生方が集まって、それは楽しい宴会だった。柳生の里の土には砂鉄が含まれていて、手で掬ってみるとキラ☆キラと光る黄鉄鉱が含まれている。

明治時代には官営の製鉄所があったという。今もその時の鉄が残っていて、高級なカンナの刃になっていると聞く。洋鉄にはない切れ味があるらしい。また刀の趣味人が集まって、小刀、穂、刀子を作らせてもらった。日本刀を作る際に出る切れ端で作った。鍛え肌のある本物だ。銘切りも教えてもらった。

江住さんは達筆だった。年に何度か、彼岸の頃、当時の刀を取り出しては打ち粉をポンポンと叩いて、刀を拭っている。不思議に心がシン、と落ち着く。刀の世界は魑魅魍魎の世界だ。虎徹の本を読んでもそれがよく分かる。大体が偽物。

その代表の桑名打ちも、それはそれなりによく出来ている。土産ものにしてはもったいない。格が違うのか。人間社会と同じことだと思って、当時の知人に電話した。

甘夏のジュース柑

重さは同じはずなのに、甘夏になると急に重量感が身に浸みる。大体、コンテナ一杯は20㎏になる。オレンジなどは少し重くなるかな。15日には3tほど出荷した。一人で積んで、選果場に下ろしてくる。年とると辛んどいことよ。

10年前から風車病で体のだるさ、しんどさは増している。選果場に行くと、被害地の百姓たちがいる。私にはもう吐き気でしかない。伊豆や伊方にも百姓の被害者がいて、同じ苦しさを味わっているはずだ。

「風力発電は地域を元気にする」そんなキャッチフレーズを思い出す。誰が元気になって喜んでいるのかは見ての通りだ。大赤字やなと思いながらも、何とか処分した甘夏にホッとしている。

吊るし柿を作った。

富有柿などの甘い柿は全部アライグマにやられてしまった。渋柿でも、新品種のものは食べられてしまっていた。昔からある串柿だけ残されていた。とても貴重だよ。

子供の頃は竹串に刺していたものだ。今は吊るし柿にして食べている。この方が格段にうまいのだ。学生時代に九州の人が作り方を教えてくれた。阿蘇の方では、竹ヘラを使って皮をむくそうだ。カナゲが付くと味が悪くなるんだとか。

さすがに私はステンレス包丁で剝いた。小ぶりなので手の筋肉が痛くなった。

剥いた皮は干して、漬物に使う。とくにタクアンの味付けには欠かせない。昔ながらの良い味になる。すっかりスローフードにはまっている。

今年も100円売り場を始めた。

ゆら早生は色付くのが早いので、一番先に出荷することになる。小玉が多くてね。摘果して粒の大きさを揃えないから、小っちゃいものばかりよ。近所の百姓からも、ちゃんと作ればお金になるのに、と言われている。私にも分かっているけど、どうも苦手なんだろう。みかん作りには女手が欠かせないという。そのとおりだよ。

蜜柑畑も田んぼも、維持管理が目的でやっている。たまに赤字になることがあって、百姓も大変だな、と周囲の百姓たちのことを思ったりする。自然を相手の仕事だから条件はみな同じよ。こんな田舎町の百円売り場だから、いくら売れたところで知れている。盗られることの方が多い日もある。

店員のいるスーパーマーケットでも万引きがあるんだから、無人販売ならなおさらよな。盗癖の人は病気だと思っている。さぞ生きていくのに大変なことだろうと思う。貧しいとか貧乏とかではなく、そんな人とは仲良くできないでしょ。それが分からないからやっているんだろうけど。100円売り場は母が楽しみにやっていた。

阪和高速道路のないときだったので、結構よく売れたらしい。コツコツと溜めて、アパートが一軒建った。バブルの時代だったからね。両親はいい時代を生きたのだ。最後は旅行ばかりしていた。バカ息子は一人、百姓しながらこれも運命かと日々を過ごしてきた。いたずらに啾啾たらんや、と。(王陽明、啾々吟です)

ヘロドトス『歴史』を一気読みした。

なんか小難しいことをギッシリと書いてあるな、と思いながらも、夜中にゴソゴソしながら三冊全部読んでしまった。こまごましたことは忘れているけれど、結構面白かったからフンフンと言いながら読めたんだと思う。ヨーロッパのエリートたちは、常識的にこの内容は知っていると聞く。

日本人は全然知らないから、話のベースがどうしても合わないんだろうね。内容は紀元前500年頃のギリシャ社会で、ペルシャが攻めてくるときの英雄物語よ。と言っても誰も知らないな~、マケドニアのアレキサンダー王か、でも時代が違うから別人だろう。

ピラミッドは出てこないし、シュリーマンの『古代への情熱』の時代でもない。キリストだのイスラムだの言う宗教もない。巫女が託宣するという。やはり日本の古代史とは違う。歴史と言うのは、ホントにいろいろな出来事が積み重なっているんでしょうな。

そんな中で自由を求める生き方、民主主義を理想として西欧社会は成熟していく。けれど責任回避の平民は奴隷だと嫌悪する。そうそう、ハリウッド映画でも、「なんだ、奴隷の言葉か」と言うセリフがある。この辺に彼らの価値観が見えるのだ。こんな道徳観念が、どっさりと書かれた戦争の殺戮の中で描かれている。

西洋人を理解するためには良い本でした。彼らが、いったい何に価値を置いているのか、少しは勉強になった気がする。司馬遷の『史記』も面白いけど、この本も読むべき価値はある。日本に、こんな歴史書がないのは残念だ。日本書紀など、身近な内輪話に思ったよ。

小米で糀を作ってみた。

小米が残っていたので甘酒にしようと思い立った。去年、米買いの業者が来て、粉になっているからと引き取ってくれなかったのだ。面倒なのでそのまま冷蔵庫に放り込んでいた。それを精米して、圧力鍋で蒸して、糀菌を振りかけて、ブルーシートで簡単に覆っておいたのだ。

毎日暑いからさ、放っておいても30℃にはなっている。おかげで、糀カビで真っ白だよ。齧ってみたらとても甘く仕上がっていた。別に用意した粥(これも小米)と合わせて一晩おいたら泡がブクブクしてきて、とても良い香りがする。

学名サッカロミセスセレビシェ、酒の酵母がしっかりと働いている。この香りとドブの味が堪らない。泡は二酸化炭素CO₂だよ。子供のころは自宅で味噌を作っていたからね。懐かしい味さ。しばらくは甘酒の生活をするつもりだ。

あと十日で水を落とす。

今年は雨が多かったので、水を引いてくる手間もいらずに済んだ。楽チンよ。しかしなんだか田んぼがスカスカな感じがする。たぶん収穫は少ないだろう。刈って見ないと分からないけれど、自然相手だからこんな年もある。私は柑橘類もたくさん作っているから、今年の蜜柑は水っぽいだろうなと思っている。

柿なんか、甘くなかったら食う気はせんわな。コメの味はどうだろう。もともと水稲というから、水が必要な作物だ。陸稲と違って、水があるからこその味になる。そうは思っていても不作の年のコメは、もう一つ物足りないのも事実だ。この雨模様の天気が晴れに変わったら、カメムシ、ウンカの消毒をする。

今のところ順調だ。田んぼの水を落として十日もすれば稲刈りをして米にする。そういえば昔、稲刈りをする時になっても毎日雨が降った年があった。稲は、刈り取る前から発芽していたものよ。昔はそんな年でさえ、異常気象だ、地球温暖化だという人はいなかった。今と昔、どちらの人が賢くなっているんだろう。

50年前には地球温暖化が進んでいて気候変動が顕著になっていた、というんだろうか。だいぶん涼しくなったし、もう雨はいらんな。雨を見ながら毎日本を読んでいるから体が鈍ってきた。ビールもうまくない。やはり汗をかいて体を動かしてこその生活なのだ。